僕の父は、サンウェーブ工業というステンレス流し台で、日本の生活文化の発展に貢献した人だった。
子どもの頃の台所の流し台は、木製の台に亜鉛鉄板を張ったものや、コンクリートを流し込んだようなものばかりで、ステンレス製はまれだった。
そのステンレス製でさえ、継ぎ目があるためにそこから錆びたり腐食したりしていた時代。
父は、ステンレス板の深絞りプレス加工で、1枚のステンレスを継ぎ目のない流し台として加工開発した。
当時住宅公団と呼ばれていた団地群が次々と建築され、そのすべての部屋に納入されたわけだから会社も発展したし、生活も「ハイカラ」になって、日本の経済発展に寄与した。
1956年のこと、僕が3歳ごろのことだった。
会社は工場を増やし増産、これを繰り返してどんどん大きくなって、ほぼ独占状態になった。
父が言うには、それを「銀行とステンレス共有の鉄鋼会社に仕組まれて、会社は倒産した」と言っていた。
真偽のほどはわからないけれども、小説にもなったくらいだから、世の中は大騒ぎだったのだろう。
「戦後最大の企業倒産」と新聞に出ていたのは覚えている。
その顛末で、父は「粉飾決算」という罪で裁かれたようだ。
家宅捜査は、その一環だったらしく、子供の僕には青天の霹靂、何が何だかわからないことばかりだった。
もともと、父の援助で身分不相応なマンション生活をし、それでも足りずに母は仕事をしていたわけで、
僕の家の生活はますます貧しくなっていった。
夕食のときに、母が自分のおかずを僕に差し出して「お食べなさい」と言う声を今でも忘れない。











