ふと気づくと、まわりに振り回されていることがある
情報に右往左往し、誰かの判断が自分の考えのようになってしまう。
自分を見失っていることにも気づかなくなる。
そんな人生はごめんだ。
ときどきでいいから、自分の軸を感じてあげましょう。
自分はどうしたい?
結果がすべてだ!
そんなことを言う人がいる。
確かにそうなのかもしれないけど、
思ったようにはならなかったとしても、
そこに向かって一歩踏み出した自分がいた
だから言ってあげよう。
でも、頑張ったんだよねって。
「中庸」という言葉が好きだ。
中間とか、中心とも違うこの中庸は、論語がもとと言われている。
簡単に言えば、偏らないことなんだけれど、それは意外と難しい
主張することも大切だけれども、
俯瞰してみることも大切ですからね。
コロナ禍で、だいぶ慣れたとはいえ、やっぱり緊張している。
外出時、電車内で誰かがせき込んだ時、近くに人がいるとき、人と話すとき、
1年前はなかった緊張がある。
こころの中にたまった緊張を、ゆったり呼吸で解放してあげましょう。
さぁ、ひと呼吸!
毎日、メディアやSNSで驚くほどの情報が流れてくる。
うかうかしていると、知らないうちにその情報に呑み込まれてしまう。
注意深く聴き、注意深く観て、自分の軸をしっかりと意識する。
こんなご時世だからこそ、本当は自分はどうしたいのか、
心に聞いてみよう。
考えることじゃないし、絵に描くこととも違う
イメージの中で、未来を描く
この世界は、誰かが描いたことが現実になっている
だったら、あなたが描いたことだって、いつの日か現実になっていく。
ワクワクして、しあわせな未来を描くのは、
いつだって今できることなんだ
2021年が始まった。
でも、自分の時間は、自分で始めなければ始まらない。
始まるんじゃなくて、始める!
さぁ、始めよう!
自分の2021年を。
明日を創るのは、
今日の自分の一歩から
あたらしい年に
あなたらしい生き方を
今年最後の地蔵。
師も走るし、サンタも走る。
地蔵も今年は 走り続けたなぁ、
どうぞよいお年を!
思ったよりも、冷静でいる
年齢の割に、まだ体力がある
あきらめずに前を向いてきた
あしたに希望がある
そんな自分に出会えた一年だった
人はみんな自分の正しさを持っている。
それは尊重されなければならないけれども、
自分の正しさを人に押し付けることはできない。
そんなことをしたら争いになってしまうことは誰だったわかっている。
お互いを認め合う世の中を、すこしずつ広げられたらいい。
そんなことを、最近よく思っている。
いろんなことがあった今年
「それはそれ」として
やわらかに、柔軟に、うけとめよう
だから、困ったら、まず飛び込んでみる
また、ちゃんと新しい年がやってきて、新しい自分に会えるから
起きたことから学ぶ
飛び込んで、そこに起きたことに向き合う。
あれこれ悩むよりも、僕にはそのスタイルが性に合っていたみたいだ。
だから、困ったら、まず飛び込んでみる
そうやって生きてきたなぁ。
インターネットで、いとも簡単に人とつながることができる。
それで孤独はひと時、癒されるかもしれない。
でも、自分を心の隅に置き去りにしていたら、やっぱり孤独のまんま
だから、自分とつながることが、一番大事
語ることは、話をすることとは違う。
語ることは、心を物語ること。
語ることで、ボクたちの心は整っていく。
聞いた話や、目に見えた現実ばかりにとらわれてくと、
ボクたちのファンタジーが消えていく。
形のないものを、言葉に置き換えていくことは、
ボクたちの素晴らしい能力なのだ。
子どもの遊びは微笑ましく見守るけど、大人が遊ぶ、となると世間の目は厳しい。
どうやら「遊ぶ」ことは、よくないことだというイメージがあるようだ。
でも、遊びは、自由な表現活動であり自由な表現は、想像の産物だ。
想像は、創造を生み、あらゆる事柄とのつながりを生む
だから、人生は遊べば遊ぶほど豊かに彩られていく。
子どもを見ていれば、誰だってよくわかる
してはいけない、したくない、もうぜったいにやらないと、
いくら強く言ったとしても、それはほとんど効果ゼロ。
なぜならば、なにを「する」のか、決めてないから。
だから、ほんとにそれをしたくないのなら、
あんたはいったい何をするのか、それをはっきりしなくちゃね
人と共に、自然と共に
人生の時間は、常にだれかや、何かと共に在る
そして何よりも大切な、自分と共に。
だからこそ、そこには共に創り出す喜びが在るのだ
いい人でいたい、嫌われたくない 孤立したくないけど
信じた自分も大事にしたい 人とつながりたければ、やっぱり、
自分とつながることから始めないとね
正しさと信念、似ているけど全く違う。
正しさは時に、過去の自分に執着する。
信念は 未来を創り出す
全く新しいことに一歩踏み出すのは、不安と恐怖がわいてくる。
でも、その時に新しい自分に出会える期待も必ずある。
そのわくわくに意識を向けると、なんだか心がうきうきしてくる。
いつまでも悔やんだり誰かを恨んだり、
つい過去に執着している自分がいる。
思い出し怒り、思い出し悲しみ、思い出しくやしさを、
ギュッと握りしめていることに気付かない。
どんなに誰かを責めたって、結局苦しんでいるのは自分。
アクセル踏みながらブレーキを踏むのをやめて、
さぁ、手ばなして!未来に進みましょう。
嫌いな自分や情けない自分を
「好きになる」ことは出来ないかもしれない。
でも、そんな自分も丸ごと「好きでいてあげる」ことは
出来そうだ。
あーしておけばよかった、こーしておけばよかった、
といくら悔やんでも、過去は変えられない。
大事なことは、そのことを今、どう受け止めるのか、ということ。
いくらだって、それを価値ある学びにすることができるんだ。