あーしておけばよかった、こーしておけばよかった、
といくら悔やんでも、過去は変えられない。
大事なことは、そのことを今、どう受け止めるのか、ということ。
いくらだって、それを価値ある学びにすることができるんだ。
嫌いな自分や情けない自分を
「好きになる」ことは出来ないかもしれない。
でも、そんな自分も丸ごと「好きでいてあげる」ことは
出来そうだ。
いつまでも悔やんだり誰かを恨んだり、
つい過去に執着している自分がいる。
思い出し怒り、思い出し悲しみ、思い出しくやしさを、
ギュッと握りしめていることに気付かない。
どんなに誰かを責めたって、結局苦しんでいるのは自分。
アクセル踏みながらブレーキを踏むのをやめて、
さぁ、手ばなして!未来に進みましょう。
全く新しいことに一歩踏み出すのは、不安と恐怖がわいてくる。
でも、その時に新しい自分に出会える期待も必ずある。
そのわくわくに意識を向けると、なんだか心がうきうきしてくる。
正しさと信念、似ているけど全く違う。
正しさは時に、過去の自分に執着する。
信念は 未来を創り出す
いい人でいたい、嫌われたくない 孤立したくないけど
信じた自分も大事にしたい 人とつながりたければ、やっぱり、
自分とつながることから始めないとね
人と共に、自然と共に
人生の時間は、常にだれかや、何かと共に在る
そして何よりも大切な、自分と共に。
だからこそ、そこには共に創り出す喜びが在るのだ
してはいけない、したくない、もうぜったいにやらないと、
いくら強く言ったとしても、それはほとんど効果ゼロ。
なぜならば、なにを「する」のか、決めてないから。
だから、ほんとにそれをしたくないのなら、
あんたはいったい何をするのか、それをはっきりしなくちゃね
子どもの遊びは微笑ましく見守るけど、大人が遊ぶ、となると世間の目は厳しい。
どうやら「遊ぶ」ことは、よくないことだというイメージがあるようだ。
でも、遊びは、自由な表現活動であり自由な表現は、想像の産物だ。
想像は、創造を生み、あらゆる事柄とのつながりを生む
だから、人生は遊べば遊ぶほど豊かに彩られていく。
子どもを見ていれば、誰だってよくわかる
語ることは、話をすることとは違う。
語ることは、心を物語ること。
語ることで、ボクたちの心は整っていく。
聞いた話や、目に見えた現実ばかりにとらわれてくと、
ボクたちのファンタジーが消えていく。
形のないものを、言葉に置き換えていくことは、
ボクたちの素晴らしい能力なのだ。
インターネットで、いとも簡単に人とつながることができる。
それで孤独はひと時、癒されるかもしれない。
でも、自分を心の隅に置き去りにしていたら、やっぱり孤独のまんま
だから、自分とつながることが、一番大事
起きたことから学ぶ
飛び込んで、そこに起きたことに向き合う。
あれこれ悩むよりも、僕にはそのスタイルが性に合っていたみたいだ。
だから、困ったら、まず飛び込んでみる
そうやって生きてきたなぁ。